社会不適合者はニートにもなるし、ホワイト企業で働くこともできる!
「社会不適合者はニートになるしかないのか・・・?」
「もしも就職できたとしてもブラック企業だけ・・・?」
自分を社会不適合者だと思っている方。
このような思いを抱いていらっしゃっていませんか?
いわゆる「社会不適合者」と定義づけられている人たち。
確かにニートになりやすかったり、就職したとしてもブラック企業でしか働けなかったりする可能性が高いかもしれません。
ですが、もちろんそれも可能性のお話。
ちゃんと就職できて、それこそホワイト企業で働くことだってできるわけです。
今回は、社会不適合者だってホワイト企業で働くことができる理由について、記事を書いていきたいと思います。

DAI
もちろん、ニートになってしまう可能性だってありますけどね・・・。
社会不適合者の働き方
社会不適合者であっても、何らかの手段を講じてお金を得なければなりません。
当然ですが、違法なこと以外の手段をとる必要があります。
労働やら、親のすねかじりやら・・・。
方法はいろいろですね。
ニートになりやすい
社会不適合者は確かにニートになりやすい存在であると言えます。
社会不適合者であっても、何らかの手段でお金を得なければ生活ができません。
社会不適合者の場合は、ニートとなって親のすねを齧ることで生活する手法が、まずは思い浮かぶかもしれません。
親のすねを齧る方法は、すぐにでも実行できる、手軽な手法だからです。
懸念点があるとすれば、親子間の関係がくらいでしょう。
親子間の関係が悪ければ、残念ながらニートにはなりにくいです。
会社という「社会そのもの」に不適合であれば、例え求人に書類を送付しても通りません。
また仮に通ったとしても、面接を通過することもできないでしょうからね。
ともなれば、親のすねを齧ることになってしまいます。
親のすねかじりは素晴らしい
親のすねを齧って生きていくこと自体は、子供目線で見れば素晴らしいことだと僕は感じています。
何もしなくても住む場所はある、食事は出てくる、着るものはある・・・。
衣食住は完璧ですね。
自室を用意して引きこもってしまいさえすれば、プライベートの確保もできます。
親の方が先に寿命が来る
しかし、生物的にも親は自分よりも先に寿命で死んでしまう可能性が高い存在です。
「すねを齧り続けているのも時間の問題」という恐怖もありますね。
親がすねを齧らせてくれる場合であっても、親の寿命の事を考えて、生活していかなければならないでしょう。
ホワイト企業で働くことも難しくはない
実は「ホワイト企業で働く」だけであれば、社会不適合者であっても難しくありません。
話は簡単で、ただ面接を受けて、それに受かればいい話ですから。
先ほど「会社は社会そのもの」という旨の主張をさせていただきました。
ですが、会社に入社をするために必要な通過儀礼「面接」で求められる社会性なんてたかが知れています。
最低限のマナーであったり、誠意であったり・・・。
「良い人」として当たり前とされる醸し出すことが出来れば、条件的には問題ないはずです。
つまり「ホワイト企業に入社すること」を目的とするのであれば、例え社会不適合者であったとしても、そこまで難しいものではないのです。
※もちろん簡単ではありません!努力は必要です。
勤続が難しいかも
社会不適合者の人が壁にぶち当たるとしたら、それはホワイト企業への入社ではなくて勤続をしていくことだと思います。
企業と言うものはホワイト・ブラックを問わずに、様々な人間がいます。
会社ごとに社風が違うのも、やはり様々な人間が勤務しており、個々人の醸し出す雰囲気などが複雑に絡み合っているから。
だからこそ、その会社会社で違う雰囲気を醸し出すのです。
入社する段階では、最低限の社会性さえあればなんとかなります。
ですが、勤続をするとなると、最低限の社会性だけではいかない場合も出てきます。
このような会社の社風を読んで、自分がそれに合わせる必要がどうしてもでてきてしまうのです。
この点が、社会不適合者にとって非常に高難易度であると、僕は思います。
フリーランスでバリバリ仕事する
これができたら最高なのですが、社会不適合者であればフリーランスとしてバリバリ仕事をこなすことが良いように思います。
いわゆる、業務委託という形で、他の企業から仕事を貰うのです。
最低限の社会性さえあれば、あとはひたすら仕事をこなすだけ。
クリエイティブ系で、才能を発揮させるような仕事に多い印象ですね。
「最低限の社会性」とは、もう本当に最低限のものです。
遅刻しない、無断欠勤しない、敬語を使う、納期は厳守する・・・。
もしもできなかったら誠意をもって謝る。
そんなレベルのお話です。
正社員が続かない人にとって嬉しい雇用形態
僕自身はフリーランスで働いたことがありません。
今の話は、3DCGデザイナーとして働いている知人を例にしたお話にはなってしまいました・・・。
正社員のデザイナー職を3ヶ月で辞めてしまった彼でも、最低限の社会性は守り、あとは才能の赴くままに仕事をこなしております。
何だか楽しそうです。
本人もどんどん経験が積めて、給料ももらえる。
委託する会社としても、品質のいいCG作品が納めてもらえる。
Win-Winの仕事形態ですね。
外から見ている限りでは、理想的な労働スタイルであると思います。

DAI
会社員として勤続していくことは難しいかもしれませんが・・・。
誰にとっても世の中は生きにくい
この世の中は誰にとっても生きにくくできています。
日頃から「生きにくいなぁ」と感じることは、ある意味では当然の感覚です。
なので、人間誰しもが社会不適合者になる素質があるのではないかと僕は思っていたりもするわけなのですが・・・。
※この話を詳しくすると長くなるので、またの機会に・・・。
ただし、前もって言っておきたいのですが、世の中は生きにくいかもしれませんが、素晴らしいはずです!
特に日本の場合は3食食べられますし、ネットの通信環境も問題なく発達しています。
確かにいろいろと問題もあるでしょう。
ですがこれらのことが、どれだけ有難くて素晴らしいことか。
この有難みだけは、忘れないようにしてください。
レールに乗るな
よく「レールに乗った人生」という言葉が謳われることがあります。
順風満帆の人生。
いい学校を出て、会社に就職をし、多くの収入を得ることができる人生。
そんな意味でつかわれることが多いですね。
しかしこれ。
上の人間が一般人を都合よく洗脳するためのマインドコントロールに似たようなものであると、僕は思います。
「レールに乗っていれば良い。」
「レールに乗っている人こそが出来る人だ。」
なにかと「レールに乗った人」が有力視される傾向があるように思います。
しかし、なぜそのような価値観ができあがっているのでしょうか。
考えたことはありませんか。
効率良く税金を回収するため
この価値観が謳われ出した一番の理由というものは、僕は税収にあると思っています。
つまりいい大学・いい会社に入ることこそが至高、であり「勝ち組」。
そういう人を徐々に除いていけばいくほど、残る「負け組」。
こういう価値観を広げて、若者たちに競争をさせます。
結果として、競争に勝った、いわゆる「厳選された有能な若者」という存在が出来上がります。
そんな若者たちはたくさん稼ぎだして、たくさん税金を納めます。
そうすることで税収が良くなり、国や自治体の運営が良くなります。
(その一方で、政治家のポケットマネーももしかしたら潤うかもしれません。)
無理に競争しなくてもOK
無理に競争をする必要はありません。
今ほど説明したように、社会的な勝ち組・負け組のような概念が正立した裏には、国による効率的な税収面での事情があります。
日本も資本主義の国ですから、競争をしないことには豊かになりませんよね。
ですからいろいろと煽って、みんなが「勝ち組」にを目指したくなるように気持ちを高ぶらせます。
このこと自体は国の運営としては非常に効率的です。
日本が豊かになった理由の一つでしょうから。
ですが、当事者の国民の立場となって考えてみましょう。
勝ち組がいるということは、必ず負け組の存在がいるわけです。
そもそも「負け」という概念は「勝ち」を無くしては成立しません。
誰かが必ず負けるように、この国の運営システムは作られていることになります。
まぁ資本主義の国なので仕方ないのですが・・・。
ここで僕が言いたいことは、「無理して競争をする必要は無い!」ということです。
勝敗に拘りすぎると、絶対に幸せになれないからです。
お金と健康(心身)、どっちが大切?
もしも「お金と健康(心身)、どっちが大切?」と聞かれたら、あなたはどちらと答えるでしょうか。
両方はダメです。
僕は圧倒的に「健康!」と答えます。
理由は簡単で、いくらお金を貰ったとしても、ダルいものはダルいじゃないですか。
そんなところです。
お金>健康な人が頑張ればいい
人の価値観は様々です。
僕が健康を重視する傍ら、お金を重視する人がいたって不思議ではありません。
多少の健康を害してまでお金を、会社での立場・仕事を重視する。
僕からしたら考えられないのですが、どうやら世の中はそういうタイプの人の方が多いようで。
お金が無くても健康になれる
「健康でいられるのは、お金があるからだ!」
このような意見も聞こえてきそうですね。
確かに一理あると思います。
ですが、お金は無くても健康は手に入りますよ。
十分な睡眠と十分な食事さえあればOKです。
あとはその辺でも気晴らしでジョギングしておけば完璧ですね。
大金が必要なものは無いはずです。
というのも、幸か不幸か、日本の場合は先ほどのような競争システムのお陰で、今日も誰かがレールに乗って頑張っていてくれています。
その誰かが富を生んでくれ、直接関係のない僕たちでもその恩恵を享受することができます。
国民皆保険もそうです。
牛丼屋に行けば手軽な値段でお腹を満たすことができる点もそうですね。
贅沢さえしなければ、健康になるためにはお金など必要ないのです。
このため、お金が無くても健康は手に入ります。
「健康でいられるのはお金があるから」は間違いですね。

DAI
それでも全然幸せになれますし、健康も維持できるはずです。
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