社会に馴染めないのは異常ではない! 合わせる必要のない3つの理由を解説!
「なんだか社会に馴染めない・・・」
「なんで他の人はみんな上手く社会でやっていけているんだろう・・・?」
このような疑問を、漠然と抱いたことはありませんか?
今回の記事では、「社会に馴染めないこと」は悪いことではないことについて、語らせていただこうと思います。
「自分が世の中と合っていない」と感じている人は、よろしければ一読ください。

DAI
社会に馴染めないことは異常ではない「3つの理由」
世の中というものは、多くの人の頑張りによって支えれているものです。
基本的に子供以外であれば、みんな何かしら社会を支えるために関わっているはずですね。
(子供も「消費」という部分では関わっていますが)
ですが、そういう仕組みなのにも関わらず、「馴染めない」と感じてしまって、そのことで自己嫌悪に陥る人が一定数いるようです。
ちなみに僕はそのうちの一人でした。
ですが、それも昔の話です。
そんな僕が、「社会に馴染めない」ことで自己嫌悪に陥る必要のない理由と、肯定的に自己を捉え直すことができたきっかけについて説明していきます。
「社会に馴染むべき」とは社会による洗脳
そもそもが「社会に馴染むべき」という考え方自体は、社会による洗脳になります。
このため、もしもあなたが違和感を感じているのであれば、それはただ社会からの洗脳に染まらずに済んでいるだけの可能性が。
この場合は、無理して「社会に馴染む」必要は無いわけです。
国にとって「都合のいい人材」になる必要はない!
では、なぜ社会はあなたを洗脳してこようとしてくるのでしょうか。
理由の一つは、国民を洗脳することで「国づくりに都合のいい人材」を育てることができるからです。
国からしてみれば、社会に馴染んでいる人間の数を一定数把握することができれば、税収の予測がつきます。
「社会に馴染んだ人間」を育成することで、結果として国の運営がやりやすくなるのです。
もちろんそのこと自体はいいことだと思います。
国がちゃんとやってくれなければ、私たちがちゃんと生活することができなくなってしまいますからね。
ですが、もしもあなた個人が社会に馴染むことができないのであれば、無理して合わせる必要はありません。
言い方が少々きついかもしれませんが、国への貢献は他の人に任せてしまいましょう。
ここで知っていただきたいことは、社会に馴染むことの裏側には国などによる「税収の事情」があるということです。
このことを知っているのか、それとも知らずにいるのか。それだけで大きく気持ちが変わってくるのではないでしょうか。
共存社会ではなくなってきている
時代の発展に伴って、誰かと協力をする必要性は薄れてきました。
それによってライフスタイルも変わってきています。
これらの変化に伴って「社会になんだか馴染めていないぞ?」と感じてしまうのは、ある意味では当然です。
(あなたか、社会か、どちらが「先進的」かはとりあえず置いておいて。)
最低限の収入さえあればOK!
確かに「集団で生活をしていくこと」は、かつての人類には必要でした。
しかし、現代社会では集団で生活していく必要性は薄れています。
家賃や食費さえあれば最低限の生活をしていくことはできますよね。
プラスで娯楽代があれば、楽しむことすらできてしまいます。
それさえを得ることが出来ていれば、社会に馴染めているかを気にする必要なんて無いのです。
極端な話、「正社員」でも「バイト」でも(ちょっと違うかもしれませんが「すねかじり」でも)何でもいいはずです。
「すねかじり」ではかじりつける「すね」の存在が必要になってきますがね。
人それぞれみんな違う
当たり前ですが、人間はみんなそれぞれ違います。
考えていることも違っていれば、同じものを見たときに感じることも人それぞれ違うはずです。
ある程度の「考え方」や「感じ方」を似せることはできるでしょう。
ですが、それにも限界はあります。
特に、元が他人と乖離しすぎている感性を持っている人の場合は、それも難しいです。
感じ方や考え方は違って当然
正直、「考え方」や「感じ方」などは育ってきた環境で大きく変わってきてしまいます。
月を見て、日本生まれ・日本育ちの人なら、その多くが「ウサギが居そう」と発想すると思います。
ですが、それ以外の人の場合で「ウサギが居そう」と感じる人は少ないと思います。
個人的な話で恐縮ですが、高校の時の英語の授業で、英語の伝言ゲームをやったことがあります。
前の人から「Moon」と来たので、次の人が「rabbit」と伝言すると、カナダ人の先生から「Wait!(待って!)」が入ったことを今でも覚えています。
結局は先生以外はみんな納得の伝言だったわけなので、ゲームは続行したのですが・・・。
これと構造が似たことが社会でも起こりうるわけです。
育ってきた環境が違うため、感じ方が違って当然なのです。

DAI
「社会に馴染めない人」が楽しく生きていくために大切なこと
以上のように、「社会に馴染めないこと」は異常でもなんでもありません。
あなたがたまたま「馴染めない」と感じてしまう人であるだけです。
それは社会から洗脳を受けてやすい「素直さ」。
時代の変化にとらわれない「自分らしさ」。
人はみんな同じであるという「人の良さ」。
これらを持ちすぎてしまっていることが原因でしょう。
このため、ある意味では「良い人過ぎるがゆえ、苦痛を感じてしまっている」と言えると思います。
良い人が弾かれてしまう社会って、おかしいですもんね。
他人から「どう思われるか」を気にするな!
まずは「他人からどう思われているか」を気にしないようにしましょう!
「他人からどう思われれているか」を気にしてしまうと、自分らしさを発揮できないずにいてしまいます。
おそらくは「社会に馴染めない」ことに関係する悩みを抱えている人の多くは、「自分らしさを出したいけれども出せない。」
そのようなことが理由で、悩んでいるのではないかと思います。
自分らしさを出すことにより、それがウザがられて嫌われてしまうのではないか。
組織に所属をして生きていくことが出来なくなってしまうのではないか。
もしかしたら、このようなことを恐れているのかもしれませんね。
ですが、世の全員に対して好意的な態度を取ることは不可能です。
誰かに好かれるためには、別の誰かからは嫌われる必要がでてきます。
つまり、ここで八方美人のように振舞うことなど始めから不可能。
(だからこそ「八方美人」だなんていう単語ができてしまっているわけですよ。)
本来の自分の「素」を出して行動するようにしてみることです。
自分が「どうしたいのか」を追究しよう!
もう一つ「自分がどうしたいのか」を追究するようにしましょう!
自分がどうしたいのかを追究することで、自分が「何がしたいのか」「どうありたいのか」が見えてきます。
そして自分がどうしたいのかが見えてきたら、それが実現できるように努力をすることです。
そうすれば、自ずと「社会に合わない」と感じることも無くなってくるでしょう!
・・・正確に言えば、社会に合わないことを感じている場合ではなくなってくるはずです。
そもそも社会に合わないと感じることの理由の一つとして、「社会という物に合わせるべきだと思っている」ということがあります。
ですが、もしも自分がどうしたいかが定まっていれば、いちいち「社会にあわせよう!」だなんて発想がなくなります。
「自分はこれがやりたい。それは社会の規範からは反するものかもしれないが、関係ない!」
という具合ですね。
ただし、どうしたいかを追究して、それを実行する場合でも法律だけは犯さないようにしてください。
それは絶対です。

DAI
自分が「どうしたいのか」を追究しよう!
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