毎日辛くて死にたくなったら、まずはプライドを捨てて適当に生きろ!
「仕事が辛い・・・。」
「学校が辛い・・・。」
「毎日が辛い・・・。」
そう感じていませんか?
そしてその結果、どこかなんとなく「死にたい」という感情を抱いたりはしていませんでしょうか?
そんなあなたに向けて、とりあえず先に僕が伝えたいメッセージを先に書いておきますと、適当に生きてください!
真面目に生きる必要なんてありません。
今回の記事では、仕事や学校などの毎日の出来事が辛くてしょうがない人へ向けて、適当に生きることの素晴らしさをお伝えしたいと思います。

DAI
適当に生きろ!
毎日が辛いのであれば、辛くならないようにすればいいのです。
では、どうしたら辛くならずに過ごすことができるのか。
方法の一つとして「適当に生きること」が挙げられると思います。
「適当に生きることは」素晴らしい
繰り返しになりますが、適当に生きることは素晴らしいです。
もしかすると、「適当に生きる?何をふざけたことを・・・!」と言われてしまうかもしれません。
ですが、本当に素晴らしいですよ。
そもそも、どうして「適当に生きること」がふざけているのでしょうか?
もしも他人から「何ふざけたこと言ってんだ!」なんて言われた場合、僕であれば思わずこのように聞き返してしまうと思います。
「適当に生きることのどこがふざけているのか?」
本当にそれくらい素晴らしいことです。
他人からの干渉を受けなくなる
適当に生きることで、他人から干渉を受けにくくすることができます。
例えば、僕が周りからよく言われていることに、「いつになったら結婚するんだ」問題があります。
記事執筆時点の僕の年齢は29歳。
かつて同級生だった人たちの中からは、ぞろぞろと結婚をし出すものが出始めます。
僕自身も、だんだんと良い年齢にもなってきました。
そうなると親から言われるわけです。
「いつになったら結婚するんだ」と。
しかし適当に生きている僕としては、「結婚したくなった時」といつも答えるようにしています。
僕の中では、年齢がどうとか、周りがどうとか、そんな要素がどうでもよく感じるからですね。
適当に生きれば、他人からの「こうしなさい」「ああしなさい」も、ストレスとして感じにくくなります。
自分の価値観で生きていける
適当に生きることで、自分の価値観で生きていくことが可能になります。
「自分の価値観で生きていく」とは、すなわち「他人の価値観に捕らわれずに済む」ということ。
毎日が辛くなってしまう要因の一つに、無意識に「自分はこの社会に向いていないのではないか」「なぜあの人にはできて、自分にはできないのか」という、他者と比較して自己嫌悪に陥ってしまう心理があります。
物事を「良」「悪」で分類したときに、自分の持っているあらゆる要素が「良」の側には無く、「悪」の方ばかりにあると感じてしまうような、そんな心理です。
このような、「社会の規範にある程度合わせていくこと」は大切なことかもしれません。
しかし、それをやりすぎると病みます。
ここは一つ、「世の中の規範は自分に沿っている」と考えてみてはいいのではないでしょうか。
極端な例にはなりまずが、例えばあなたが太っているとしましょう。
そしてこう思うのです。
「世の中、太っている方がイケメン・美女だ!」と。
最初は抵抗があるかもしれませんが、慣れてくると不思議なことに、それが正常であったかのような感覚になります。
スタイルの良い人を見ても「あの人はスタイルが良い。かわいそうに・・・。」と本気で思えてきます。
「適当に生きること」は意外と簡単
適当に生きることは、想像以上に難しくありません。
以下に説明する「難しい点」さえクリアしていれば、すぐにでも始めることができます。
「適当に生きること」が難しい3点
適当に生きることがもしも難しいと感じるのであれば、おそらくその原因は以下の3点に集約されるのではないかと思います。
これら3点さえ精神的に乗り越えることができれば、適当に生きることなど容易いです。
というか、「死にたい」と感じているのであれば、どれも大したことない懸念点ですね!
身内から眉を顰められる
身内から眉を顰められてしまうことは怖く、適当に生きることができない。
もしくは真面目に頑張らなければいけない。
まずお話しするのは、こう思ってしまうパターンです。
身内とは、家族や親戚、仲の良い友人などのことを、ここでは指します。
確かに、身内から眉を顰められてしまうことに対して恐怖感を持ってしまうことは、ある意味では当然です。
「嫌われたらどうしよう。」
「居場所を失ったらどうしよう。」
コミュニティから嫌われないために。
また、コミュニティ内での御場所を作るために。
もしかしたらあなたは真面目に頑張っているのかもしれませんね。
ですが、適当に生きたって大丈夫です。
本当にいい関係を築けているのであれば、適当に振舞ったって「やれやれ、しょうがないなぁ」と多少は多めに見てくれるはずですよ。
もしも適当に振舞ったくらいで嫌われてしまうのであれば、そんなもの始めから薄っぺらい関係でしかなかったということ。
うわつらが剥がれて、むしろ好都合ではありませんか。
・・・まぁ、適当にし過ぎるのもいけませんがね。
でもおそらくこの手の問題に悩んでいるあなたであれば「適当にしすぎて良好な人間関係すら崩壊してしまう」なんてことはないと思います。
社会的信用
社会的な信用やステータスに傷がついてしまうことを恐れて、適当に生きることができない人もいると思います。
確かに、適当に生きている人よりも、普段から真面目に生きている人の方が社会的に信用されます。
その結果として、社会的な地位のようなものを獲得する機会も増えていくと思います。
ですが、この説明からもお分かりの通り、信用や地位と言ったものは、責任や真面目さと引き換えに手に入れるものとなっております。
つまり、基本的には両方を同時に入手することはできない。
二兎を追う物、一兎をも得ず。
もちろんあなたが「信用や地位が第一だ!」というのであれば、多少ストレスを抱えてでも真面目に頑張るべきでしょう。
ですが、社会的な信用や地位よりも、メンタルの健康面の方が大切だと感じた場合。
この場合は頑張ってはいけません。
すぐに適当に生きるようにするべきです。
ちなみに僕はメンタルの健康面の方が大切だと感じてしまうタイプです。
お金
お金に関しては、適当に生きていく上でも支障となりうるものであると思います。
適当に生きていようが、真面目に生きていようが、ある程度のお金というものは必須になりますよね。
食費、住宅費(家賃や維持費など)、諸々の税金・・・。
数えだすと枚挙にいとまがありません。
真面目に生きていれば、この辺りの懸念点はある程度は軽減されるでしょう。
真面目に会社に勤めていれば、毎月一定の給料が支給されますから、その範囲内でやりくりをしていけば、先々の予測がつくものです。
しかし、これが適当になってしまうとたちまち不安に駆られてしまいます。
仮に「真面目な会社勤め」の対義語として「適当にフリーター」という概念を定義するとします。
(あくまで「例」です)
「会社員」も「フリーター」もお金を稼ぐことはできるでしょう。
ですが、会社員と比べると、フリーターの収入は不安定です。
不安定な収入源を持って、毎月の決まった請求額に対峙しなければならなくなります。
ですが、今の時代では正社員だからといって安定が保証されることも無くなりました。
結局は頼れるものは「自分自身」ということになると思います。
もしも今の会社勤めにストレスを感じるのであれば、フリーターになってしまっても僕は良いと思っています。

DAI
自ら死ぬことの勿体なさ
自分でその命を絶ってしまうことは、なんとも勿体ないことだと僕は思います。
せっかくこの世に生まれてきたのだから、自ら終わらせるのではなく、自然の摂理に任せて生きてみませんか。
生きていたら楽しいことがたくさんある
生きていたら、楽しいことがたくさんあります。
特に、日本で生きているならば、尚のことだと思います。
食事も朝昼晩食べられるし、睡眠環境だって整っています。
ネットだってあるし、本屋に行けば多くの本が陳列されています。
美術館や博物館だってありますしね。
田舎に行けば綺麗な空気と水と緑が、鳥や虫と共にあなたを迎えてくれます。
死んでしまったら、これらの素晴らしさを感じることすらできなくなってしまうでしょう!
まぁ僕も死んだことがないので、推測になってしまうのですが・・・。
そりゃあ辛いことだってある!
こういう話をすると「でも、楽しいこともあるだろうけど、辛いことだってあるじゃないか!」という意見を言われそうです。
確かに、そうでしょう。
生きている限りは、楽しいことがある一方で、辛いことだってあるはずです。
辛いことをゼロにすることはできません。
ですが、辛いことを減らすことはできます。
また、楽しいことを増やすことだってできます。
この点に関しては、自分で匙加減の調整ができます。
この部分に関してだけは、自分で意識的に行動する必要がでてきます。
前半に紹介をした「適当に生きる」も、辛いことを減らすための行動の一つです。
死ぬことはいつでもできる
実際に実行するかは別です。
死ぬこと自体は、生きている限りはいつだってできます。
ですが、死んだ状態から生き返ることはできません。
僕は今までに何名かの「生きていたけれど死んでしまった人」と、葬儀の会場などでお会いしたことがあります。
しかし「一度は死んだけれど生き返ってきた人」という人とは今までに合ったことがありません。
あなたもきっと同じだと思います。
つまり命とは「生→死」の一方通行になります。
逆は絶対にないのですね。
死ぬことは生きていれば、いつでもできます。
ですが、一度死んだら帰ってくることができないのです。
とりあえず生きよう
理由はなくても、とりあえずでいいんです。
生きて見ましょう。
そして、「楽しい」と感じることを増やし、「辛い」と感じること減らすのです。
今回のテーマである「適当に生きること」は、この点を解決するためにはちょうどいい生き方なのではないかと、僕は思います。

DAI
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません