ホワイト企業が退屈ならば、刺激を求めて思い切って辞めてみる!

2020年8月9日

「仕事が退屈過ぎる・・・。」

「こんな毎日でいいのかな・・・?」

 

今の日常に、漠然とした不安を抱えていませんか。

安定している毎日。

日々の仕事さえしっかりとこなしていれば、路頭に迷うなんてことは無い仕事。

拘束時間も、その対価も適正であれば、それはいわゆる「ホワイト企業」に所属していることになります。

見る人が見たら「うらやましい人」です。

 

ですが、そんな状態にあるにも関わらず、どこか満足できない。

今回の記事では、そんなあなたに向けて、何かヒントとなるような文章を書いていきたいと思います。

 

 

DAI

DAI

ホワイト企業なのに、なんだか不安に感じていませんか?

 

仕事が退屈ならば、刺激を求めて辞めてしまえ!

まず今回の記事で最も伝えたいことを書きます。

仕事が退屈ならば、思い切って辞めてしまいましょう!

さくっと退職届を書いて、明日にでも会社に提出してしまうのです。

会社を辞めたら刺激が手に入るのはもちろんのことですが、退職届を提出してから実際に辞めるまでの間も刺激的な毎日を送ることが出来ます。

 

 



安定=退屈

そもそもなぜ仕事が退屈であると感じてしまうのでしょうか。

仕事が退屈であると感じてしまうことの理由の一つに、その仕事が安定していることが挙げられます。

安定した毎日を送ることにより、どうしても仕事が退屈であると感じてしまいます。

 

 

不安定こそが刺激

安定しているよりは、不安定であった方が刺激になります。

ここでいう「不安定」という言葉は、雇用形態もそうですが、何もそれだけに限ったことではありません。

 

正社員よりも契約社員の方が「刺激」は強いです。

そしてまた給与も固定給よりも歩合制であった方が「刺激」を強く感じることができます。

人事の評価制度だって「年功序列」よりも「実力主義」であった方がより刺激的ですね。

 

やはり安定した立場にいると、安心してしまうものです。

不安定な立場にいるからこそ、今後どうなるのかが分からないからドキドキします。

結果として、それが「刺激」に繋がってくるのですね。

 

僕がいきなり「仕事を辞めてしまいましょう!」と言った理由は、ここにあります。

不安定な立場に置かれば、嫌でも毎日が刺激的になります。

 

 

生活費の工面は必要

とはいいつつも仕事を辞めてしまえば、収入が途絶えます。

収入が途絶えたままでは、生きていくことは困難になってしまうでしょう。

 

どこかで生活費の工面は絶対的に必要です。

確かに、人生上級者のごとく「お金が無い縛りプレイ」的なものを楽しむのであれば、お金に頼らなくても大丈夫かもしれませんね。

しかし、多くの人の場合はそこまでの刺激を求めていないと思います。

 

僕としては、現代の日本人としての最低限の生活は保障されていたいです。

家賃、光熱費、交遊費、スマホ代、ネット代・・・。

僕はこれらの費用は最低でも保っていたいです。

最低限の生活費は工面しておきたいです。

 

生活費を工面するパターンには、大きく2種類あります。

 

 

次を決めてから辞める

まずは次の仕事を決めてから辞めるパターンです。

これは転職をする場合においても、王道のパターンであると言えます。

 

次が決まっているため、生活の質を下げる必要性も薄まります。

転職活動時に収入などの条件面も見ているでしょうから、特に住む場所のランクを下に下げなければいけないとか、食事の質を極端に下げなければならないとか。

そういった困難に直面することはないでしょう。

ただし、安定が退屈に繋がるのだとしたら、このパターンは2つ目に紹介をする「辞めてから次を決める」を行うよりも受け取れる刺激が弱まります。

 

 

辞めてから次を決める

一つ前の項目「次を決めてから辞める」よりも刺激を受けることが出来ます。

辞めてから次の仕事を決めることは、すなわち「現職をとりあえず辞めてしまうこと」を意味するわけです。

 

そこには計画性のようなものはありません。

その時の勢いというか、ノリというか・・・。そういったもので思い切って辞めてしまうのです。

そして、辞めた後に次の仕事を探します。

ちょっと不安な人は、実際に辞める前、退職届を提出してからの期間中に探し始めてもいいかもしれません。

 

いずれの場合でも、先行きが見えないため、不安定さを手に入れることができます。

そして、それが退屈だった毎日を刺激的にしてくれるのです。

 

「次の仕事が決まらなかったら、来月の家賃が払えない」

「退職をするので後に引けない」

という背水の陣のような状況を作ることで、安定からは遠く離れた世界を満喫することができるでしょう。

不安に駆られたドキドキした毎日を送ることができます。

 

 

人生は大いなる暇つぶし!

僕は人生とは大いなる「暇つぶし」であると思っています。

 

 

偉人たちもきっと「暇」だった

別に歴史に名を残している偉人たちのように、何か偉大なことを成し遂げる意味は人生にはありません。

また、当時の偉人たちだって、偉人になりたくてなったわけではないと思います。

 

きっと彼ら彼女らも「暇」だったから、いろいろと自分の信念や考え方を模索していたのでしょう。

それがたまたま「偉人的な結果」を生んでしまっただけであるように思うのです。

何か夢中になれることに没頭しているときのエネルギーって、強いですからね。

 

このため、「暇だ」と感じる仕事をやり続けることは、いくら環境がホワイトであってもあなたのためにはならないでしょう。

この意味で「暇だ」という感情は「辛い」という感情と同等に精神にとって毒です。

 

理想的な感情は、「何かに没頭して夢中になれる」こと。

このためにも、いろんな職場を経験し、何が自分に合っているのかを客観的に把握することは非常に大切です。

 

 

退職するだけで暇が潰れる

「暇」という毒の感情を捨てるためには退職することが有効です。

理由は二つあって、1つが「暇」を生む環境の職場に出勤しなくて済むから。

もう1つが退職の手続等が面倒なため暇ではなくなるからです。

 

もちろんただ退職をしてしまうだけでは、お金の面の心配が出てきます。

上にも説明したように、お金の心配は何らかの形で解決するべきです。

お金に対する心配を除けば、会社員の身分の者が会社に退職届を提出することは、非常にいい暇つぶし行為になるのです。

 

 

DAI

DAI

仕事を辞めてしまえば、嫌でも刺激的な毎日が送れます!
ただし、収入面に関してはしっかりと確認しておくようにしましょう!

 



毎日に満足できない理由と改善策

では、どうして毎日が退屈であるといけないのでしょうか。

退屈であると、毎日が平坦になってしまいます。

毎日が平坦すりぎると、ただ家と会社を往復するだけの毎日になってしまいます。

それはもはや「生きる屍」!

もしも寿命が来たときには、きっと「ああ、自分の人生って何だったんだろう・・・」と思ってしまうことでしょう。

そんなの、つまらないじゃありませんか。

 

上にも説明しましたが、何も偉大なことを成し遂げる必要はありません。

普段から「刺激的な毎日」を送ってさえすれば、十分なのです。

 

以下からは、毎日が充実しない要因として主に考えられる3つの事象と、その改善策を書いていきたいと思います。

 

 

社会から「必要とされている感」を感じにくいから

社会からの「必要とされている感」が感じられないと、毎日が退屈化していきます。

言い換えてしまえば、「あなたが居ても居なくても大丈夫な状況」に置かれている場合です。

 

正直、会社の業務は誰かが居なくても何とかなる場合が圧倒的に多いです。

例えば、役員など特別な決裁権を有している場合以外において。

多くの一般社員の業務の場合は、誰かが急に病気などで休んで欠員となった場合であっても、なんとか回すことができるでしょう。

 

ですが、僕が言っているのはその次元を超えたレベルでのお話です。

例えいくら「一般社員が欠員しても他で回せる」とは言え、カバーしなければいけない立場の人から言わせてもらえば、単純に仕事量が増えるわけですから困ります。

その人にとって、欠員となった人はいてくれて嬉しい存在であったのです。

 

ですがこの場合と違って、休まれても休まれなくても「どっちでもいい」という状況に置かれている人は世の中にはいます。

そういう人は本当に社会から必要とされていません。

 

 

仕事を変える

この場合は仕事を変えることしか解決策がないように思います。

「仕事を変える」のは、転職でもいいですし、社内の別の部署への異動などでも構いません。

とにかく今やっていることを変えるのです。

 

先ほどの例の続きになりますが、もしかすると将来的に会社が全体的に高齢化した際の投入要員として、なんとなく採用されてなんとなく仕事を経験させえられているというパターンも多いと思います。

会社としても、あなたの適正を見てこう、とかいったことは考えてない場合が多いです。

もしくはあなたの適正や性格を見ていたのであれば、その会社に向いている業務がないだけなのかもしれません・・・。

いずれにせよ、この場合では「仕事を変えること」が有効打になるでしょう。

 

 

暇すぎるから

暇すぎると当然ながら毎日が充実しません。

暇と充実は対極の概念ですから。

説明するまでもないと思います。

 

先ほどの、簡単にいうと「いてもいなくても変わらない存在」論とも似てますが、こちらは会社が全体的に暇である場合を想定してのお話になります。

個人ではなくて会社が全体的に暇すぎてしまうと、当然ながら社員のやることもなくなり、毎日が暇つぶしとなってしまいます。

 

「人生は大いなる暇つぶし」と異なっている点は、会社での暇には給料が発生している点です。

人生の暇つぶしは、自分で適当に好きなことをやって、暇が潰せれば何でもOKです。

楽器を弾いたり、本を読んだり、絵を描いたり。

なんでもありです。

 

ですが、仕事中にそんなことをするわけには行きません。

もしかしたらゲーム会社などで、スマホゲームをポチポチとやることが許されている環境などであれば、いいのかもしれませんが・・・。

ただ僕だったらゲームは集中してやりたいので、やはり勤務中にはできませんね。

勤務中であるという制限の中で、暇つぶしとなるような「刺激」を見つけていかなくてはなりません。

なかなか難しいです。

 

 

創造するか転職するか

勤務中の暇を自由に潰すことはできません。

給与を貰っている最中になるわけですから、好き勝手に行動をすることは許されません。

このため、業務に関係することで何か「面白み」を見つけるか、もしくはそもそもの職場を転職などで変えてしまうことくらいしか有効打がありません。

仕事上で役に立ちそうなアイデアを創造するための時間として使ってみるのもいいでしょう。

 

いずれにせよ、この場合はなかなか難しいです。

僕であればとっとと転職をしてしまうと思います。

 

 

遣り甲斐を感じないから

遣り甲斐を感じない場合も、あなたの毎日を充実から遠ざけてしまいます。

やはり人間とは遣り甲斐を感じることで輝く生き物であると思います。

ちょっと上の方で説明をした「社会からの必要とされている感」も遣り甲斐の一種だと思います。

 

また、自らが能動的に社会に働きかけ、いろいろと貢献をしていく行為も、遣り甲斐に直結します。

よく有名人がボランティア活動を行ったり、あとは何かの災害を受けた被災地に支援をしたりしていますが、あれも遣り甲斐を感じるためであるからだと僕は思います。

ボランティア活動や被災地支援などは、困っている人を助けながら、自分自身が生きている意味も実感することができます。

 

時代は変わって、なんだかんだ言われてはいますが、やはり人間はだれかと直接繋がっていたい生き物。

このような触れ合いを通して、生きている意味を実感することができるのです。

 

 

困っている人を助け、喜んでもらう

困っている人を助けて、その結果として喜んでもらうことが出来れば、毎日はきっと充実するはずです。

誰かを助けて、その人から「ありがとう」と言われて、嬉しくない人はかなり珍しいと僕は思います。

やはり「ありがとう」と言わることで、人は嬉しくなって「よし、また頑張るぞ!」という気持ちになります。

 

どこぞのブラック企業が「人は(「ありがとう」から生じる)感謝を食べるだけで生きていける」なんていう訳の分からない理屈を言っていました。

やはりこのように悪用されてしまうだけの魔力が「ありがとう」の言葉にはあるということをこのエピソードは物語っているのだと、僕は肯定的に捉えています。

 

とにかく、困っている人を助けて、喜んでもらうように努めれば、毎日は充実していくでしょう。

他人の困りに介入するのが難しい場合は、募金のような些細なことでもいいと思います。

始めてみましょう。

 

 

DAI

DAI

社会に求められ、社会に貢献する。
この意味で自分ができることがたくさんあれば、毎日は充実していきます!
何もなければ、最初は募金から。